1947-09-25 第1回国会 衆議院 文教委員会 第9号
○柏原委員 先ほどの松原さんの、教育者が宗教哲學とか、あるいは宗教史のようなものを教育養成機關の學科の中に入れたらどうかという具體的な話に對しまして、大臣は深みのある、信念のある指導者を作る方面に大いに努方しようというお話を伺つたのでありますが、その意味の内容は、そういう師範教育の中に、宗教史とかあるいは宗教情操に關係したような學科を入れることに努力なさるのですか、それともただ深い人格者をつくる方面
○柏原委員 先ほどの松原さんの、教育者が宗教哲學とか、あるいは宗教史のようなものを教育養成機關の學科の中に入れたらどうかという具體的な話に對しまして、大臣は深みのある、信念のある指導者を作る方面に大いに努方しようというお話を伺つたのでありますが、その意味の内容は、そういう師範教育の中に、宗教史とかあるいは宗教情操に關係したような學科を入れることに努力なさるのですか、それともただ深い人格者をつくる方面
今、御指摘になりましたように、宗教の歴史でございますとか、あるいは宗教哲學であるとかとか、宗教學、もしくは宗教の必要性でありますとか、そういうものを一般的ないわゆる宗教、特異の宗派にわたらざる宗教教育そのものにつきましては、十分學校教育におきましても尊重しなければならぬのでございます。
ここに科目その他具體案として、第一、宗教學概論、中には宗教哲學も含んでおる。第二宗教史、これには宗教制度とか文化思想史というようなものも含んでおる。第三、宗教心理學、これに別途教育心理學に附帶してもよろしい。
これはソシオレリヂヤス・ムーヴメントというような字を宗教社會學と飜譯しているから、社會現象としての宗教研究、これは現在の文部省の新制度における教科規程の中にもこれが非常に出ているのだから、少くとも社會現象としての宗教から入つて行くという方針を取つておられるから、これはやはり宗教社會學が是非必要である、ただここで一つの問題になるのは、宗教哲學なんですが、さてこれを別個として入れることがいいか、宗教心理學
それから人間の生活の上における宗教の立場を示すというような點になりますれば、宗教哲學というような立場も見なくちやならん、それからそういう宗教の現れ方の科學的な考察としましては、宗教學というものをやらなくちやならん。それが人間の生活に流れて來るという立場から言えば宗教心理學という立場を見なければならない。